広汎性発達障害, アスペルガー, ADHD, LD, 療育, 教育, 登校しぶり,名古屋

アスペルガー息子の療育記録

「お仕事は・・・」ホームページのタイトルについて

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社会人になってから、ずっと自分の天職はなんだろうと考え続けてきました。

大学を卒業し、化学メーカーに就職しましたが、ピンとこず、就職して4年目で結婚、5年目で退職し、ほぼ専業主婦となりました。

子供になかなか恵まれず、自由な時間があるうちに、自分の一生やりがいのある仕事が見つかるかと期待してましたが、そうもうまくいかず、結婚8年目にしてようやく息子を授かったのでした。

子供というのは、予想以上に手がかかるもので、自分の生き方も見つからないのに、子供を育てるなんて・・・と迷いながら、息子が6ヶ月の時から保育園に預け、私自身は、派遣社員として、テンポラリーな仕事を続けてきました。

保育園へ預けたことは、良かったのか悪かったのか、自分だけの時間が取れるようになったのですが、その分、子供をよくよく観察する機会も失ったのかもしれません。

大きくなるにつれ、この子はなんて頑固なんだと感じるようになりました。嫌なことは、とことん嫌がり、抵抗が半端なものではありませんでした。

そして、3歳になる前から、保育園に行きたがらなくなった息子と格闘する毎日が始まりました。

それでも、ほかの子よりも少し遅れて登園し、保育園は続けられました。年中組のときに、一番抵抗が激しく、夏のプールを強く嫌がったり、運動会でのお遊戯が嫌で、練習の時からやることを拒否するようになりました。

この時、おかしいなと少し思い、保育士に相談したのですが、もらった返事が「たしかに、マイペースが強いところがありますが、心配ないと思いますよ。」というもの。

ほかのお母さんに相談しても、「子供はわがままなもので、言う事を聞かないのなんて、当たり前よ。」と言われ続けました。
そんなものかと自分では疑問を持ちながらも、成長するにつれ収まっていくものなのかとなんとか気持ちを納得させ、自分が親として個性を受け入れればいいのだろうくらいに考えて、発達障害に気づくチャンスを失ってしまいました。

年長組に上がったころには、スイミングを始めたこともあり、プール嫌いもなおり、運動会も、皆と一緒にがんばることを担任と約束してしぶしぶながらこなしていました。

精神面で成長がのんびりなところがあるけれど、このまま成長していけば大丈夫だろうと信じて、小学校に上がりました。1学期は本人にとっては精一杯頑張ったようで、集合時間には遅れ気味だったものの、分団登校をしてなんとか毎日ほかの子どもたちについて行っていました。

1学期の疲れが出たのか、夏休み前からなんだか調子が悪くなり、夏休みに一気に悪化、2学期からの登校しぶりが始まったのでした。

それ以降は、私の母としての奮闘が始まり、息子の発達障害を知り、私の関心の中心は、息子のことばかりになっていったのでした。

これまでも、息子がアレルギー体質で、食物アレルギーがあることから除去食対応を続けてきたりして、普通の親よりは、かなりの注力をしてきたつもりでした。

でもどこかで、私自身の仕事や生き方はどうすれば・・・みたいな考えが常にあり、息子を自分より後回しに考えることがしばしばだったように思います。

そのため、もっと注意深く息子を観察していたら、就学前に発達障害にも気づいたのではないか、早くから療育をすることができて、学校にも適応できるくらいにはなっていたのではないかと悔やむ気持ちも出てきました。

あれこれ悩んだところで、過去は取り戻せないし、原因を掘り返したりして追求したところで、息子本人が楽になるわけではありません。

今できることは、息子が少しでも楽しく毎日を過ごしていけるよう、成長を助けることしかないのです。

天職はなにも収入を得る仕事だけではないとようやく気がついたのは最近です。

今後、収入を得るような肩書きが増える機会はあるでしょうが、一番重要な最初の肩書きは、障害ある息子の母であることにしたいと思います。

  • 2012/10/30 
    ホームページタイトルを「職業」→「お仕事」に変更しました。
    「子育て」のタイトルには、より柔らかい表現がしっくりするかなと思いました。

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